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沖縄の学生ガイドによるブログ


by gakuseigaido
のぐちです。au使ってる人だけで気になる人は…って内容なんですが、以下のようなアナウンスがされています。

「KDDIは、auおよびツーカーの携帯電話のうち、2003年3月~2005年8月に発売された機種において、特定の操作を行なった場合に本来送出されないはずのリファラが送出されるという事象があることを明らかにした。同社では、店頭で改修受付を開始している。」

要するにいえば、ezwebで前に見たページの情報を今見てるページのサーバに送信するような仕様になっている機種がけっこうあるけど、何かの拍子で前に見たページの情報がメールに添付されちゃったりするというないようです。機種リストや詳しい情報はこちらにありますが、ここ3ヶ月に発売されたのを除く結構多くの機種が該当します。

店頭でしか受け付けない、ということなので気になる人は持っていってはどうでしょうか。
# by gakuseigaido | 2005-12-09 20:18 | 何でもあり
こんにちは。のぐちです。明日の上尾頑張ってください。

軍隊の中での階級と官庁や県市町村、国鉄、警察、学校での階級とを挙げてみます。
アブチラの中での問題とか牛島司令官と島田知事の上下関係とか、野田師範学校長の位置とか、中学校長から師範女子部長になった西岡氏とか、考える材料になるのではないでしょうか。

親任官        正4位・大勲位 各省大臣・陸海軍大将・帝国大学総長などの官職 

高等官一等(勅任官一等)従4位・勲1等 次官・陸海軍中将・大学教授
                          ・高校校長・府知事

高等官二等(勅任官二等)正5位・勲2等 局長・陸海軍少将・大学教授
                          ・専門学校校長・県知事


高等官3等(奏任官3等)従5位・勲3等 中央官庁課長・陸海軍大佐・教授・県知事

高等官4等(奏任官4等)正6位・勲4等 課長補佐・陸海軍中佐・助教授・県警察部長

高等官5等(奏任官5等)従6位・勲5等 陸海軍少佐・講師・日本医師会会長・中学校長

高等官6等(奏任官6等)正7位・勲6等 陸海軍大尉・助手・警察署長
                         ・中学校長・中学教頭

高等官7等(奏任官7等)従7位  陸海軍中尉・助手・警察署長・小学校校長・駅長

高等官8等(奏任官8等)正8位  陸海軍少尉・警察分署長・小学校校長・地方駅長


判任官1等 従8位・勲7・8等 陸軍准尉・見習士官・特務曹長・海軍兵曹長・警部
                    ・小学校訓導・町村役場助役など

判任官2等      陸軍曹長・海軍上等兵曹・警部・小学校訓導
             ・町村役場出納役など

判任官3等      陸軍軍曹・海軍一等兵曹・警部補・小学校訓導・駅助役など

判任官4等      陸軍伍長・海軍二等兵曹・警部補・小学校訓導・駅助役など
# by gakuseigaido | 2005-12-09 13:03 | 何でもあり

日本軍の大砲

こんばんは。のぐちです。上尾東のガイドをした方々はお疲れ様でした。

さて、今日は前回の機雷に引続きめっちゃマニアックなお話です。

沖縄戦のことを語る際に、よくアメリカの「艦砲弾が…」とか「迫撃砲が…」とかいう話は出てきますが、日本軍の大砲のことは陸軍のほうも海軍のほうもあまり出てきません。
じゃあぜんぜん持っていなかったのかというと、そうではなく、この本の表現を借りた場合、「まさに沖縄の(日本)軍砲兵隊は太平洋戦争最大の砲兵であった」というくらいの大砲を持ち込んでいます。

沖縄戦での状況を語る前にまず沖縄戦以前の島嶼防衛戦での日本軍の大砲ですが、貧弱の一言に尽きます。口径10cm以上のものだけですが、海兵隊が沖縄・硫黄島と並べて激戦だったと伝えるパラオ諸島ペリリュー島の日本軍は91式10cm榴弾砲4門のみ、硫黄島では38式12cm榴弾砲が10門のみだったそうです。

また、第三十二軍には第五砲兵司令部という砲兵指揮専門の部隊が配属されていて、配属されている砲兵の統一指揮が行われました。これは太平洋戦争の期間においては、開戦時の香港攻撃(第二十三軍)、フィリピンのコレヒドール要塞攻撃(第十四軍)と沖縄戦だけです。守勢に立った状況では沖縄戦のみとなっています。

では、沖縄戦での本島中南部にいた各部隊の装備した大砲です。
(全て、定数を満たしていた場合です。他に軍兵器廠に予備が備えられていたかも。)

・野砲兵第四十二連隊(山部隊第二十四師団の砲兵隊)
4年式15cm榴弾砲×12門  91式10cm榴弾砲×16門 95式75mm野砲×8門
・独立混成第四十四旅団砲兵隊
91式10cm榴弾砲×8門
・野戦重砲兵第一連隊・野戦重砲兵第二十三連隊
96式15cm榴弾砲×12門づつ(計24門)
・重砲兵第七連隊(旧中城湾要塞重砲兵連隊)
カネー社製12cm速射加農砲×2門 改造38式75mm野砲×12門
・独立重砲兵第百大隊
89式15cm加農砲×8門
・独立臼砲第一連隊
98式32cm臼砲×24門 94式or97式90mm軽迫撃砲×6門
・独立迫撃砲第一大隊・独立迫撃砲第二大隊
97式曲射歩兵砲(81mm迫撃砲)×約48門づつ(計約96門)
・戦車第二十七連隊砲兵中隊
90式75mm機動野砲×4門
・第二十一野戦高射砲隊所属4個高射砲大隊
88式75mm高射砲×72門
・第二十四師団所属3個歩兵連隊連隊砲中隊
41式75mm山砲×4門づつ(計12門)
・第二十四師団所属3個歩兵連隊所属各3個大隊歩兵砲小隊
92式70mm歩兵砲×2門づつ(計18門)
・第六十二師団所属8個独立歩兵大隊歩兵砲中隊
31式or41式山砲×2門づつ(計16門) 92式70mm歩兵砲×2門づつ(計16門)
・第二十四師団・独立混成第四十四旅団指揮下速射砲中隊
94式37mm速射砲×合計27門
・独立第3、第5、第7、第22速射砲大隊
1式機動47mm速射砲×合計54門
・海軍砲台備砲
20cm砲×5門 155mm砲×3門 152mm砲×6門 12cm砲×11門
・臨時編成海軍砲大隊
20cm短榴弾砲×4門 陸軍96式15cm榴弾砲×4門
・海軍沖縄方面根拠地隊その他備砲
10年式12cm高角砲×約20門 迫撃砲×50門 20cm噴進砲×19門
・戦車第二十七連隊の戦車の備砲(推定)
57mm砲×3門 47mm砲×11門 37mm砲×13門

合計 10cm以上の砲合計166門 37mm以上の砲合計584門

と、いうように数はそれまでの戦闘と比べるととても多いです。何か旧軍関係者が威張りたくなる気持もわからんでもないですね。でも問題があります。一つは各部隊で装備してる大砲が違うってことです。二つはそれに伴って補給の面倒が生じるということです。

具体的にいうと75mm砲だと38式、機動90式、95式の野砲と41式の山砲を装備していますが、弾薬が共用できるのは38式野砲と95式野砲、41式山砲に関してのみです。他は専用の弾薬が必要になります。つまり、使いまわしが出来ないということです。37mm・47mmも戦車砲と速射砲の2種類ずつありますが、弾薬は別の種類だそうです。

また、この影響を受けているともいえるでしょうが、日本軍が持ち込んだ弾薬もあまり多くなかったようです。それぞれ1会戦分ということで、それぞれ1門(1挺)あたり、15cm榴弾砲1000発、10cm榴弾砲1500発、75mm山砲1300発、小銃300発って感じのようです。

ちなみに対するアメリカ軍は、陸軍の重砲で
8インチ(203mm)榴弾砲×24門
155mm加農砲×120門
155mm榴弾砲×120門
105mm榴弾砲×276門
と、それ以外に数は不明ながら自走105mm榴弾砲が相当数配備されていたとのこと。
海兵隊だけは75mm野砲も装備していたみたいです。
さらに戦車の90・76・75mm砲が合計400両分あります。
また、いわゆる艦砲になると、4月1日に艦砲射撃を行っていた軍艦の数が
戦艦×10 重巡洋艦×6 軽巡洋艦×3 駆逐艦×23 砲艇×177
ということです。砲艇はロケット弾とか迫撃砲を積んだ小型舟艇だそうです。
(ひめゆり資料館の記録映像によく出てくるやつです。)
参加した軍艦がどのくらい大砲を積んでいるか、例としてあげると
戦艦テネシー 14インチ(356mm)砲×12 5インチ(127mm)砲×16
重巡洋艦インディアナポリス 8インチ(203mm)砲×9 5インチ砲×8
軽巡洋艦クリーブランド級 6インチ(152mm)砲×12 5インチ砲×12
駆逐艦フレッチャー級 5インチ砲×5
と、単純計算して14インチ級×120門 8インチ×54門 6インチ×36門 5インチ×359門 という風にアメリカ軍は陸軍・海軍ともに日本軍が持っていた大砲の数を越える数を持ち込んだことがわかると思います。
これに制空権の問題、読谷・嘉手納などで沖縄戦中に稼動した対地支援航空機は750機以上ということです。まさに日本軍は物量戦で負けていったのが見えてくるんじゃないでしょうか。
何か間違ってる所とかあればご指摘ください。

12/4更新 面白いページを見つけたのでそこへリンクを張りました。
米軍の大砲の説明を見ると、沖縄戦の時に日本軍や沖縄の住民達に対して弾を放っていた大砲と同型のを戦後自衛隊が米国より供与されたこと、その大砲の一部(どれでしょう)は未だに現役で保有していることがわかります。
# by gakuseigaido | 2005-12-02 23:37 | 何でもあり

第5段

野口です。昨日は志木高校の乗車ガイドお疲れ様でした。

今日は小禄の不発弾の正体は何なのかっていう事です。

1974年3月2日に那覇市小禄交差点付近でクレーンでシートパイルを打ち込んでいる際に不発弾が爆発して死者4名重軽傷者34名の惨事になりました。

当時の新聞とか見ても爆発した不発弾が何なのかの正体は載っていず、憶測として日本軍の改造地雷であろうとの見方が載っていました。
ちょっと気になっていたのでネットワークのガイドの人にも聞いてみたりしたんですが、人によって意見がばらばらで、確証もなかったので調べてみました。

この不発弾の問題は国会で取り上げられています。丁度3月は通常国会の会期中ということで衆参両院で取り上げられています。事故直後から爆発したものは一体なんだったのか、ということと、誰に責任があったのかということが答弁の中で出てくるんですが、3月中のやり取りは総理府と各省庁の責任のなすりあい以外に見るべきものはありません。

調査の結果爆発したものの正体がわかってくるのは事故から約半年後の9月9日の衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会でのことです。名前としては、旧海軍の「視発沈底式機雷」という代物だということです。

「視発沈底式機雷」は、「視発」目視で発火させる「沈底式」底に沈める「機雷」ということで主に水深の浅い揚子江での作戦用に開発された機雷だということです。唯一制式化された九四式機雷は、総重量535kgで、爆薬の重量は80kgだそうです。ちなみによく発見される米軍の500ポンド爆弾(250kgって書いてあることが多いけど227kgらしい)の爆薬は126kg入っているということですのでそれよりは少ないということみたいですね。

12/5追加:自衛隊の那覇駐屯地で実物を見ることが出来るそうです。画像はこちら
重量が上で引用した資料の数字の半分くらいしかない…。多分だけど遠隔操作型の機雷なので、その辺の制御機器やら起爆装置やら取っちゃってから普通の信管をつけて埋めたからこんなに軽くなったんだろうな、と思います。

この議事録を見ると法務省からの説明員が責任問題については結構すごいこと言っています。要は「日本国には責任はないんじゃないのか」って言いたかったみたいなんですが、長いんですが下に引用して終わります。
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まず、いまの旧海軍の改造機雷の所有権の帰属の問題でございますけれども、これは昭和二十年の四月から五月ごろにかけまして、旧海軍が敷設したのでございます。これは戦闘中に敷設したものでございますから、この機雷の物理的滅失を目的として敷設しておるというふうに考えられるわけでございます。そういたしまして、その後ここで激戦が行なわれまして、当時旧海軍の軍人が全滅しているという事実がございます。そういうように考えてまいりますと、この機雷の所有権でございますけれども、これは敷設した当時、あるいは激戦で全滅した段階で所有権が放棄されたと同じように見てもいいのではないかというように考えられるわけでございます。そうしますと、この機雷は無主物というふうに考えるべきではなかろうかというふうに考えたわけでございます。次は、国家賠償法の一条の問題でございますけれども、国家賠償法の一条の場合には、この事案では不作為の違法性ということが問題の一つになっているわけでございます。この関係で国家賠償法の一条を考えてみますと、国家賠償法の一条によって不作為の違法性があるということのためには、特定の公務員について不発弾を除去する法律上の義務ということが前提にならなくちゃならないというふうに解釈されているわけでございます。
 そういうふうに考えてまいりますと、このような不発弾について除去する義務のある公務員はだれかということになりますと、これは法令上明確になっておりません。この場合に、特にこの不発弾の所在位置でございますけれども、これは地下大体四メートルぐらいのところにあったわけです。その存在についてはだれも気づかなかったという事実関係があるわけでございます。そういう事実関係を踏まえて、この不発弾を除去する法令上の義務がどの公務員にあるのかということになりますと、その法令上の義務がある公務員をはっきりさせることができないということから、国家賠償法の一条の不作為による違法性という関係では問題がございますので、国家賠償法の一条の適用というのは困難だというふうに考えられたわけでございます。次は、民法の七百十五条、これも問題になるわけでございますけれども、この場合には、特定の公務員について不法行為責任の成立ということが前提になるわけでございます。しかし、この事案についてそういうことをはっきりすることはきわめて困難であるということから、七百十五条の適用もまた困難であるというふうに考えられるわけでございます。
 そこで、最後は七百九条の問題でございます。七百九条の問題につきましては、最近の下級審の判例あるいは学説によりまして、その要件は非常にゆるやかになっております。そういうことを踏まえて考えましても、国がこの事案について不法行為責任を負うということを断定することはできないであろう。しかし、この事案がかりに裁判所に係属した場合に、絶対国に不法行為責任がないという判決が出るか、また出ると言い切れるかということになりますと、そうも言い切れないのじゃないかというふうな疑問を持っておるということでございます。
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# by gakuseigaido | 2005-12-01 12:44 | リンク集

リンク集4

こんばんは。いっぺいです。リンク集第4段です。

今回はガイドで話する内容とは全く関係がないですが、沖縄の公共交通機関についてです。

こんどの志木の場合もそうだけど、ガイドをやってると乗る場所と降りる場所が違うことがよくあります。こないだ14日には空港で乗って高速の琉大バス停で降りたし、今度18日にも佐敷のウェルサンピアで乗って浦添城址で降ります。こういう場合、朝早くに出たら車なりバイクなりを出発地に取りに行く必要がでてきます。

そこで、沖縄のわかりにくいバスの乗換えが調べられるページとして「美ら島交通なび」というページがあります。出発地と目的地を入力するタイプの検索です。モノレールの駅も指定することができます。但し、直接特定のバス停の時刻表を見るとかはできない(一度目的地を入力して検索する必要あり)ので、時々不便です。検索後は出発地のバス停からの該当路線の時刻表や路線自体の時刻表にもアクセスできます。最初から系統番号で検索かけられたらいいんだけど、そこまでやる気はないでしょう。内閣府沖縄総合事務局作成だし。

バスの始発地の時間とか高速バスの時間はむしろ「沖縄路線バスどっとこむ」のほうが解りやすいかと思います。

あとはモノレールですが、僕的には「ゆいレール公式HP」よりもむしろ全国版の時刻表検索サイトである「えきから時刻表」のほうが検索しやすいです。普通に時刻表だしどの列車に乗ればいつつくか分かるし。
# by gakuseigaido | 2005-11-16 23:45 | リンク集