こんばんは。のぐちです。上尾東のガイドをした方々はお疲れ様でした。
さて、今日は前回の機雷に引続きめっちゃマニアックなお話です。
沖縄戦のことを語る際に、よくアメリカの「艦砲弾が…」とか「迫撃砲が…」とかいう話は出てきますが、日本軍の大砲のことは陸軍のほうも海軍のほうもあまり出てきません。
じゃあぜんぜん持っていなかったのかというと、そうではなく、
この本の表現を借りた場合、「まさに沖縄の(日本)軍砲兵隊は太平洋戦争最大の砲兵であった」というくらいの大砲を持ち込んでいます。
沖縄戦での状況を語る前にまず沖縄戦以前の島嶼防衛戦での日本軍の大砲ですが、貧弱の一言に尽きます。口径10cm以上のものだけですが、海兵隊が沖縄・硫黄島と並べて激戦だったと伝えるパラオ諸島ペリリュー島の日本軍は91式10cm榴弾砲4門のみ、硫黄島では38式12cm榴弾砲が10門のみだったそうです。
また、第三十二軍には第五砲兵司令部という砲兵指揮専門の部隊が配属されていて、配属されている砲兵の統一指揮が行われました。これは太平洋戦争の期間においては、開戦時の香港攻撃(第二十三軍)、フィリピンのコレヒドール要塞攻撃(第十四軍)と沖縄戦だけです。守勢に立った状況では沖縄戦のみとなっています。
では、沖縄戦での本島中南部にいた各部隊の装備した大砲です。
(全て、定数を満たしていた場合です。他に軍兵器廠に予備が備えられていたかも。)
・野砲兵第四十二連隊(山部隊第二十四師団の砲兵隊)
4年式15cm榴弾砲×12門
91式10cm榴弾砲×16門
95式75mm野砲×8門
・独立混成第四十四旅団砲兵隊
91式10cm榴弾砲×8門
・野戦重砲兵第一連隊・野戦重砲兵第二十三連隊
96式15cm榴弾砲×12門づつ(計24門)
・重砲兵第七連隊(旧中城湾要塞重砲兵連隊)
カネー社製12cm速射加農砲×2門
改造38式75mm野砲×12門
・独立重砲兵第百大隊
89式15cm加農砲×8門
・独立臼砲第一連隊
98式32cm臼砲×24門
94式or97式90mm軽迫撃砲×6門
・独立迫撃砲第一大隊・独立迫撃砲第二大隊
97式曲射歩兵砲(81mm迫撃砲)×約48門づつ(計約96門)
・戦車第二十七連隊砲兵中隊
90式75mm機動野砲×4門
・第二十一野戦高射砲隊所属4個高射砲大隊
88式75mm高射砲×72門
・第二十四師団所属3個歩兵連隊連隊砲中隊
41式75mm山砲×4門づつ(計12門)
・第二十四師団所属3個歩兵連隊所属各3個大隊歩兵砲小隊
92式70mm歩兵砲×2門づつ(計18門)
・第六十二師団所属8個独立歩兵大隊歩兵砲中隊
31式or41式山砲×2門づつ(計16門) 92式70mm歩兵砲×2門づつ(計16門)
・第二十四師団・独立混成第四十四旅団指揮下速射砲中隊
94式37mm速射砲×合計27門
・独立第3、第5、第7、第22速射砲大隊
1式機動47mm速射砲×合計54門
・海軍砲台備砲
20cm砲×5門 155mm砲×3門 152mm砲×6門 12cm砲×11門
・臨時編成海軍砲大隊
20cm短榴弾砲×4門 陸軍96式15cm榴弾砲×4門
・海軍沖縄方面根拠地隊その他備砲
10年式12cm高角砲×約20門 迫撃砲×50門 20cm噴進砲×19門
・戦車第二十七連隊の戦車の備砲(推定)
57mm砲×3門 47mm砲×11門 37mm砲×13門
合計 10cm以上の砲合計166門 37mm以上の砲合計584門
と、いうように数はそれまでの戦闘と比べるととても多いです。何か旧軍関係者が威張りたくなる気持もわからんでもないですね。でも問題があります。一つは各部隊で装備してる大砲が違うってことです。二つはそれに伴って補給の面倒が生じるということです。
具体的にいうと75mm砲だと38式、機動90式、95式の野砲と41式の山砲を装備していますが、弾薬が共用できるのは38式野砲と95式野砲、41式山砲に関してのみです。他は専用の弾薬が必要になります。つまり、使いまわしが出来ないということです。37mm・47mmも戦車砲と速射砲の2種類ずつありますが、弾薬は別の種類だそうです。
また、この影響を受けているともいえるでしょうが、日本軍が持ち込んだ弾薬もあまり多くなかったようです。それぞれ1会戦分ということで、それぞれ1門(1挺)あたり、15cm榴弾砲1000発、10cm榴弾砲1500発、75mm山砲1300発、小銃300発って感じのようです。
ちなみに対するアメリカ軍は、陸軍の重砲で
8インチ(203mm)榴弾砲×24門
155mm加農砲×120門
155mm榴弾砲×120門
105mm榴弾砲×276門
と、それ以外に数は不明ながら自走105mm榴弾砲が相当数配備されていたとのこと。
海兵隊だけは75mm野砲も装備していたみたいです。
さらに戦車の90・76・75mm砲が合計400両分あります。
また、いわゆる艦砲になると、4月1日に艦砲射撃を行っていた軍艦の数が
戦艦×10 重巡洋艦×6 軽巡洋艦×3 駆逐艦×23 砲艇×177
ということです。砲艇はロケット弾とか迫撃砲を積んだ小型舟艇だそうです。
(ひめゆり資料館の記録映像によく出てくるやつです。)
参加した軍艦がどのくらい大砲を積んでいるか、例としてあげると
戦艦テネシー 14インチ(356mm)砲×12 5インチ(127mm)砲×16
重巡洋艦インディアナポリス 8インチ(203mm)砲×9 5インチ砲×8
軽巡洋艦クリーブランド級 6インチ(152mm)砲×12 5インチ砲×12
駆逐艦フレッチャー級 5インチ砲×5
と、単純計算して14インチ級×120門 8インチ×54門 6インチ×36門 5インチ×359門 という風にアメリカ軍は陸軍・海軍ともに日本軍が持っていた大砲の数を越える数を持ち込んだことがわかると思います。
これに制空権の問題、読谷・嘉手納などで沖縄戦中に稼動した対地支援航空機は750機以上ということです。まさに日本軍は物量戦で負けていったのが見えてくるんじゃないでしょうか。
何か間違ってる所とかあればご指摘ください。
12/4更新
面白いページを見つけたのでそこへリンクを張りました。
米軍の大砲の説明を見ると、沖縄戦の時に日本軍や沖縄の住民達に対して弾を放っていた大砲と同型のを戦後自衛隊が米国より供与されたこと、その大砲の一部(どれでしょう)は未だに現役で保有していることがわかります。