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沖縄の学生ガイドによるブログ


by gakuseigaido

ohikkosi

新年度です!!気分転換にブログをお引越ししちゃいました。
これを機に、長らく滞っていた学生ガイドのブログを復活させよう!!!うお~
引越し先はこちら→http://gakuseigaido.cocolog-nifty.com/blog/
いまからここから☆
# by gakuseigaido | 2006-04-19 18:13
「琉大周辺」フィールドワークに行ってきました。
行った場所はこちら
①161.8高地
②糸蒲の塔
③棚原観測所
今日は草を掻き分けていくような場所ばっかりでした!ひぃい!
161.8高地では源さんと伊佐が丁度近くにいた気のいいご夫婦にお話を伺っていました。
源さんが突然「話聞きに行ってみよう」とかいってこのご夫婦のもとにスタスタ歩いていくもんだから最初はびっくりして「オイオイ・・大丈夫かよ」と見守っていたんだけど、源さんの様子を見てたら超話が盛り上がってる様子。「あぁ一緒に話聞きに行けばよかった~」とかなり後悔してしまいました。怖気づいてちゃダメだね。
話を聞きに行く勇気って大事だ!思わぬ事実がわかることもあるもんね!源さんの行動力に感動でした☆ちなみに帰り際、このご夫婦からみかんとお菓子をもらってた(笑)
棚原でも色々実験したりと(一平さん・カナご協力ありがとう)とても楽しかったです。今日は疲れてるので本日のフィールドの詳細は後ほどアップします。
フィールドワークはやっぱ楽しいね(^▼^)v

棚原観測所で実験中琉大周辺フィールドワーク開催☆_a0041564_18554361.jpg
糸蒲の塔。見晴らしがかなりいい。東海岸の沖縄戦が見える場所。
琉大周辺フィールドワーク開催☆_a0041564_18571320.jpg
161.8高地にて。鉄筋?で補強されてる。
琉大周辺フィールドワーク開催☆_a0041564_18572515.jpg 
草を掻き分け・・・・
琉大周辺フィールドワーク開催☆_a0041564_18573853.jpg
レイカとミホ☆琉大周辺フィールドワーク開催☆_a0041564_18574891.jpg

# by gakuseigaido | 2006-01-14 20:28

2006年予定表

学生ガイド!!2006年度の予定表を作りました☆
是非ご参照ください
# by gakuseigaido | 2006-01-12 19:23
こんばんは。のぐちです。きょうは何となく煽情的なタイトルにしてみました。

沖縄戦の中で6月上旬にアメリカ第10軍司令官バックナー中将から沖縄守備軍司令官へ降伏が勧告され、拒絶されたといわれています。

では、沖縄守備軍たる第三十二軍司令官牛島中将は、降伏することができる立場だったのでしょうか?

簡単ですが、答えはNoです。その根拠を見ていきます。

陸軍内での犯罪を裁くために、陸軍刑法というのがあります。沖縄戦当時は明治41年公布のものを昭和17年に改正されたものが有効です。この軍法の中では、降伏は犯罪行為とされています。具体的に条文を挙げてみます。

第四十条 司令官其ノ尽スヘキ所ヲ尽サスシテ敵ニ降リ
       又ハ要塞ヲ敵ニ委シタルトキハ死刑ニ処ス

第四十一条 司令官野戦ノ時ニ在リテ隊兵ヲ率ヰ敵ニ降リタルトキハ
         其ノ尽スヘキ所ヲ尽シタル場合ト雖六月以下ノ禁錮ニ処ス

第五十六条 第四十条、第四十二条、第四十三条、第四十五条、第四十七条、
       第四十九条、第五十一条及第五十三条乃至第五十五条ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス

と、あり、沖縄戦はたぶん野戦なので、「司令官」が「尽スヘキ所ヲ尽シタル場合」でも「六月以下ノ禁錮」であり、「尽スヘキ所ヲ尽サス」敵に降ったと判断されたら、「死刑」なのです。

「司令官」とは以下のように定義されています。

第十七条 司令官ト称スルハ軍隊ノ司令ニ件スル陸軍軍人ヲ謂フ

と、いうことです。どのあたりの部隊長までが司令官とされるかは明文にはありませんが、通常、親補職とされるのは師団長以上です。また、旅団長も司令官と呼ばれることがあります。
以上の定義に従うと、第三十二軍のなかで該当するのは以下の役職です。

      第三十二軍司令官
      第二十四師団長
      第二十八師団長(宮古島)
      第六十二師団長
      歩兵第六十三旅団長
      歩兵第六十四旅団長
      独立混成第四十四旅団長
      独立混成第四十五旅団長(石垣島)
      独立混成第五十九旅団長(宮古島)
      独立混成第六十旅団長(宮古島)
      独立混成第六十四旅団長(奄美)

その他同等以上の階級の人物では以下の役職が該当します。

      第三十二軍参謀長
      第五砲兵司令官
      海軍沖縄根拠地隊司令(陸海共同作戦の場合陸軍刑法の対象)

これらの人々が降伏をした場合、罪になる、ということです。該当の「司令官」が「自分が処罰されてもいいから部下の命は助けたい」という気分になれば降伏できるんですが、当時の日本では体面とかが大事なので犯罪者や場合によっては「卑怯者」呼ばわりされかねない状況ではまず無理でしょう。よって降伏はありえないということでしょう。
# by gakuseigaido | 2005-12-20 23:57 | 何でもあり

ちょっとショック

こんばんは。のぐちです。誰か見てるのか不安だけどとりあえず書きます。

今日(もう昨日か)601に来て、パソコン立ち上げてYahoo!のトップを見ると、「戦争拒否の生徒に「非国民」」と、煽情的な見出しが目に入ります。まあ僕自身、徴兵とかテーマにやってるからとりあえず見とくかとクリックしたんですが、僕の出身地な町の話題でした。僕の母校ではなくて隣の学校なんですが。
毎日新聞読売新聞朝日新聞の記事をそれぞれリンクします。

それで、この町でこういったことが起こるのは実はショックでもなんでもなくて、こういう町だから仕方ないと妙に納得できてしまうことが激しく嫌なんですが、実際にショックなのは記憶が正しければ90年代の末なんですが、ネットワークでガイドの予定を見たらこの学校の名前があったのでお願いしてアブチラのポイントガイドをやったことがあるはずです。去年か今年も「南部観光案内センター」でアブチラの時間帯を見てる中で学校名を見たような気がしています(この記憶はあいまい)。
そういう、平和学習がらみで自ら関わりのあった学校からこういう話題が出てくるのがすごく悲しいな、と思います。力が抜けていく感じ。沖縄で平和学習するのもいいけど、足元で崩壊しないで欲しい。

それで、育った地元だからわかるんですが、なんで教室の窓から見えるはずのこれを使わないのかな、と思います。この竪坑は海軍が建てた物で立派な戦争遺跡です。10月だったら残すか壊すか町の中で論争になっていた最中みたいなので取り上げるのに都合よかったんじゃあないかな。
アジアとの絡みでもいまは残ってないけどこの炭鉱の周りには炭住が広がっていて、僕が子どもの頃には炭住の壁に「強制連行で連れてこられた朝鮮人のらくがきなハングル文字」が残っていると聞いたことがあります。その後、壊されてしまいましたが。
また、学校の位置はここなんですが、裏山の福祉公園にはいまも忠魂碑が鎮座しています。ちなみに、竪坑は学校よりも右手に「町民体育館」がありますが、この「館」の字の辺りです。左手に見えている福岡空港も旧帝国陸軍板付飛行場→旧米空軍板付基地だったし、わざわざ副教材からコピーしてまで赤紙を使わなくても、他にいくらでもやりようがあるだろう、と感じます。

また、戦争に行くか行かないかを問う内容についても、戦争当時は兵役は大日本帝国憲法第二十条において定められているように帝国臣民の義務な訳で、その辺ちゃんとやらないと厳しいな、と感じます。
「非国民」という単語も、家に帰って保護者に「非国民って何?」って聞かないとわからないような使い方は問題かな、と思います。

赤紙自体は教材として使用するのはアリだと思います。ただし、使用する際には戦争賛美に繋がらないよう、細心の注意を払う必要はあると思います。

補足ですが、このブログにあるように竪坑は消極的ながら保存されることになったようです。行政としては従来どおり壊れるまでほっとこうということかな。いずれにしろ既に(あくまで僕的には)町のランドマークタワーなので、残ることになってよかったと思います。これを見ないと帰った気分にならないし、竪坑は良くも悪くも志免町のシンボルなんです。

また、学校の地図の真上にある三角形をクリックすると一つ北側の地図に飛びます。全く意図したわけではないんですけど、中心の十字マークがあるところはほぼ長勇氏のお墓があるところにあたります。1/1562の地図1/3125の地図にするとちゃんと記載されています。福岡に行く機会があって興味があればぜひ行ってみてもらいたいスポットです。墓は大きいし、銅像あるし。インパクトのある代物です。
# by gakuseigaido | 2005-12-18 01:15 | 何でもあり